これは私が小学校低学年のころに体験した出来事です。
この体験はのちに子供の残酷さ、命の大切さを私に刻み込ませたものでした。
だれしも命の価値を授業で学ぶとは思いますが、本当の意味で命の重みを理解するのは大変難しいことなのではないでしょうか。
どうか最後までお読みください。
小学校2年生の私は、近所の子供たちと毎日のように夕方まで遊んでおりました。
皆は私より4歳年上の子から1歳下の子まで様々で、人数は11人でしょうか。
私は同い年の子がいなかったので、上の年齢の子とよく遊んでいました。
私はあまり積極的に遊びに誘うというより、誘われるまで周りでうろうろして誘われるのを待つタイプでした。(自分は弟気質だと最近よく言われます)
基本的にみんな外で走り回ったり、ボールで遊んだり、一輪車に乗ったりと様々です。
その中でも、一人、その輪にあまり馴染めていない子がおりました。名前はK君です。
K君は同じ3丁目ですが、やや離れたところに住んでいて、ややインドア派なのか運動が苦手だったのか、追いかけっこなどに混ざらない子でした。
ズボンが長いのか裾を引きずって歩く癖があり、慎重派やや低め、天然パーマ、早口な子でした。
私はK君の持っている漫画やゲームに関する知識、それを面白く伝えてくれるオタクな話を結構好きでしたので、一緒に互いの家の前でしゃがみこんで遊ぶことも多かったです。ほかの子と違って、あまり自己主張は控えめ、とってもいい子でした。
K君の家の横には協会がありました。そこの神父とK君は仲が良かったのですが、それはK君にお父さんがいないからだといつの日か、知りました。
ある日、何人かで空き地で遊んでいたときにふと、小さい黒猫を見つけました。1か月齢くらいでしょうか。
野良猫でした。母猫とはぐれた様子でした。
みんな可愛くなってその黒猫にミルクなどのエサをあげました。
しかし連れて帰りませんでした。親の了承を得ることもなく、ただ自分は野良猫として接していましたし、ほかの子も気に入ってわいたものの、だれも飼おうとは言いませんでした。
しかしK君は違いました。猫には数日後、赤い首輪が付いていました。
そして大事そうに黒猫を抱いて、自分でつけた名前を呼びながらK君は家に帰ってゆくのでした。
一方、それに気づいた子供たちはK君の家までついていきました。
彼らのもつ所有欲に駆られてだと思いますが、一番上の男の子A君がK君に向かってこう言いました。
「首輪なんて付けたらかわいそうだ」
それにつられて、私以外の全員が口をそろえて
「逃がせ」
そういっておりました。
私も心の中では、かわいい猫をとられた気分で賛同していたのだと思います。
その結果、
K君は首輪を外しました。
そして黒猫は外に逃がされることになりました。
その翌日、事件が起きました。
朝、いつものように10人ほどで集団登校しているとき、道路に何か黒いものが落ちているのがわかりました。
みんなそれが何かわかりました。
昨日K君から引き離した、あの黒猫です。
とたん、K君は号泣しました。とても大きな声で慟哭し、
それを尻目に、先頭を歩いていたA君は妹たちに「かわいそうと思うと、とりつかれるぞ」
と、言いました。
どうして子供、いや人間はこんなに残酷な生き物なのでしょうか?
その一件のあと、どうなったか私にはあまり記憶がないのですが、
その頃はすでにみんなそれぞれ同級生で遊ぶようになったので、もう近所の子とは遊ばなくなっておりました。
そして、私はK君に謝ることもできず、どうしていいかわからないままでした。
当時の私は習い事も多くて、ぱったりK君と遊ぶ機会もなくなってしまいました。
しかし、K君はその後も私と登下校で班が一緒の時は。ゲームの話を楽しく語ってくれていた気もします。
この出来事から私が感じたことは、
K君にとって一瞬でも、大切な家族であった黒猫を死に追い込んでしまった、
我々は一見猫のことを思っているようで、本当は猫をかわいいかわいいともてあそんで殺しただけじゃないのか、ということ。
いまでも振り返ると自責の念がこみ上げてきます。
追記
この経験を糧に今後も獣医師としてのお仕事を頑張っていこうと思います。